トップ > 広報久留米 > 久留米市美術館のコレクションing4 野見山暁治の見た100年
4月22日(土曜)から久留米市美術館で「コレクションing4 野見山暁治の見た100年」が開催されます。野見山暁治は100歳を超えてもなお精力的に制作を続けています。令和3年度に本人から寄贈された8点を含む市美術館所蔵13点をはじめ、関連作家の作品を合わせて約90点展示。野見山が見つめた、100年にわたる日本洋画の展開を全5章でたどります。
大正9(1920)年に飯塚市に生まれた野見山は、昭和13(1938)年に東京美術学校(現東京藝術大学)へ入学します。第1章は東京美術学校で、直接教えを受けていた藤島武二などの作品をはじめ、同じ時代を共に生きた画家たちの作品を展示します。
その後、第二次世界大戦で出征するも、病気のため帰国。活動拠点を福岡に移します。坂本繁二郎が審査員を務めた西部美術展の第2回公募展に野見山は作品を出展。その際、最高賞の福岡県知事賞を受賞しています。第2章は、戦後の福岡で関わりがあった画家たちをテーマに構成します。
昭和23(1948)年から2度目の上京をします。自由美術家協会に所属していた麻生三郎の作品に感動し、同協会展へ応募。協会賞を受賞し、会員に推挙されます。第3章は麻生三郎のほか、九州にゆかりのある平野遼や尾花成春など自由美術家協会所属の画家などの作品を展示します。
昭和初期、本物の洋画を見るには、現地へ行くしかありませんでした。そこで野見山は昭和27(1952)年からフランスへ。渡欧して生活するうちに、作品の色彩が明るくなっていきます。西洋絵画が持つ立体感や量感、理詰めの構成力を学ぼうと渡欧した野見山でしたが、ギメ美術館で山水画の複製を見て東洋美術に開眼。12年で滞在を切り上げて帰国します。現在の画風を形作るきっかけになりました。第4章は滞欧期に交流のあった菅井汲や久留米市出身の藤田吉香などの作品と共にたどります。
帰国後は、東京藝大で指導に当たりました。第5章は、同じ教壇に立った脇田和や特別講師に招き交流のあった香月泰男の作品などを展示。教師を辞めた後の作品も合わせて100年を見つめます。
【問い合わせ先】久留米市美術館(電話番号0942-39-1131、FAX番号0942-39-3134)
野見山暁治と関わりの深い作家や作品を野見山の留学前後2回に分けて学芸員が紹介します。
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