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シリーズ久留米入城400年モノ語り【11】(令和3年9月1日号)

江戸時代の姿を残す寺町

城を防衛する寺院群

 現在の昭和通りの北には、17の寺院が建ち並ぶ寺町があります。寺町の建設は、初代藩主・有馬豊氏が入国した元和7(1621)年から始まりました。豊氏は、久留米城の大拡張に取りかかり、領内にあった寺院を寺町に移転させます。目的は、久留米城や城下を守る軍事上の防衛基地にするためでした。35年を掛けて明暦2(1656)年の3代藩主・頼利の時代に完成します。
 寺町は、久留米城の南東、上級家臣の屋敷がある櫛原侍屋敷の東側にあります。寺院は、修行の場や墓地を守ると同時に、敵が攻めてきたら城外の陣としての役割も担っていました。京町にある有馬家の菩提寺・梅林寺が本丸の丘陵上に位置しているのも、南西の防衛のためです。

久留米の偉人が眠る

 寺町の寺院には、江戸時代から現代まで久留米の発展に貢献した偉人たちの墓が数多くあります。徳雲寺には久留米絣を生み出した井上伝、真教寺には8代藩主・頼貴の時代に藩校・明善堂(現在の明善高校)を創設した樺島石梁、妙正寺には久留米つつじの始祖・坂本元蔵、善福寺にはこの寺の長男として生まれ洋画家になった古賀春江、遍照院には勤王の志士・高山彦九郎などが眠っています。
 妙蓮寺の山門は、武家の門をそのまま移築。その他、各寺院には、石塔や地蔵板碑などさまざまな石造物も残っています。寺町は、約370年経った今でも、当時の趣を残す久留米の貴重な財産です。

【問い合わせ先】文化財保護課(電話番号0942-30-9225、FAX番号0942-30-9714)

久留米歴代藩主

星マーク★マークは今回のモノ語りと関わる藩主

星マーク★初代 豊氏 とようじ
星マーク★二代 忠頼 ただより
星マーク★三代 頼利 よりとし
四代 頼元 よりもと
五代 頼旨 よりむね
六代 則維 のりふさ
七代 よりゆき
星マーク★八代 頼貴 よりたか
九代 頼徳 よりのり
十代 頼永 よりとお
十一代 頼咸 よりしげ

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