トップ > 広報久留米 > シリーズ 久留米入城400年モノ語り【10】
昨年10月から連載をスタートした「久留米入城400年モノ語り」が、シリーズ10回目となりました。これまでの紙面にも登場した城下町の絵図や藩領図屏風など、久留米城や城下町づくりに関する歴史資料を一挙に公開する企画展を開催します。これから12月にかけて久留米入城400年記念企画展や関連イベントが続々開催されます
有馬家の菩提寺・梅林寺の外苑に、梅林寺ティーハウスがあります。国の文化審議会は、文部科学大臣に登録有形文化財にするよう答申しました。昭和33年、梅林寺開山350年の遠忌記念の一環として建てられました。設計者は、瀬下町出身で日本を代表する建築家・菊竹清訓氏。出身地の久留米に現存するという点から、極めて貴重な作品です。梅林寺ティーハウスを含む外苑の整備には、ブリヂストン創業者・石橋正二郎氏の支援もありました
平成元年、三本松公園(日吉町)の発掘調査で、人々を驚かせる遺跡が発見されました。空襲や開発で存在しないとされていた久留米城下町の遺跡が見つかったからです。当時、全国でも城下町跡の発掘は例が少なく、手探りによる調査が進められました。以来30年もの間、130箇所を超える場所から、久留米城の土塁や外堀、武士や町人の屋敷、ごみ穴、地下蔵、庭園、厠などが発見されています。これらの出土品から、城下町の様子や当時の人々の暮らしをたどることができます。
城下町には多くの商人が住んでいましたが、中でも現在の通町一丁目から四丁目に住む職人が格上とされていました。これは、元和7(1621)年、初代藩主・有馬豊氏が入国したことに由来しています。
藩主となった豊氏は、城下町の整備に着手します。元和8(1622)年、通町四丁目までが完成し、多くの商人がこの地に住み始めました。元々住んでいた地元出身の商人に加え、豊氏に従って丹波福知山(現在の京都府福知山市)から移住した商人や、家来として入国したものの、武士を辞めて商人になる者もいました。商人たちは、競い合いながら久留米商人の名を高めていきます。発掘調査では、陶磁器などの高級品を持つ裕福な商家跡も発見。町人や武士の家からも、商店の屋号が書かれた「通い徳利」が出土するなど、商才に長けた「久留米商人」のルーツがこの時代に築かれました。
【問い合わせ先】文化財保護課(電話番号0942-30-9225、FAX番号0942-30-9714)
★マークは今回のモノ語りと関わる藩主
★初代 豊氏 とようじ
二代 忠頼 ただより
三代 頼利 よりとし
四代 頼元 よりもと
五代 頼旨 よりむね
六代 則維 のりふさ
七代 よりゆき
八代 頼貴 よりたか
九代 頼徳 よりのり
十代 頼永 よりとお
十一代 頼咸 よりしげ
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