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シリーズ 久留米入城400年モノ語り【7】(令和3年5月1日号)

犬好き・相撲好きの藩主

明善堂を開き文武を奨励

 江戸幕府5代将軍・徳川綱吉が犬公方と呼ばれていたことは有名です。実は、久留米藩8代藩主・有馬頼貴も犬好きとして知られていました。国内だけでなくオランダからも大型犬を集め、江戸への参勤交代にも連れていくほど。寛政9(1797)年、学問好きだった父の7代藩主・よりゆきが開いたものの、中断した藩校を再開。明善堂(現在の明善高校)と名付けました。藩士の子を、家格や身分に関係なく受け入れて教育。水天宮の神職の子で、後に久留米藩の尊王攘夷指導者になる真木和泉守も明善堂の出身です。
 心優しく穏やかな性格だった頼貴は、洪水や害虫で凶作が起こると、領民に救助米を出すこともありました。無類の相撲好きで多くの力士を召し抱える一面も。

お抱え力士が江戸で大活躍

 11代藩主・頼咸が召し抱えた3代目小野川才助は、幕末から明治初期にかけて活躍した人気の力士です。山本郡高畠村(現在の善導寺町木塚)の出身で、京都相撲を経て、嘉永6(1853)年に江戸相撲の土俵を踏みました。文久元(1861)年6月には、江戸から帰郷して五穀神社で取組を披露しています。江戸での最高位は関脇ですが、京都五条家から京都相撲初の横綱免許を受け、横綱土俵入りを行っています。
 当時の江戸相撲では、九州出身の力士たちが活躍。3代目小野川才助は、生涯わずか10個の黒星しかない大相撲史上最強の力士・雷電とも名勝負を繰り広げました。

【問い合わせ先】文化財保護課(電話番号0942-30-9225、FAX番号0942-30-9714)

久留米歴代藩主

星マーク★マークは今回のモノ語りと関わる藩主

初代 豊氏 とようじ
二代 忠頼 ただより
三代 頼利 よりとし
四代 頼元 よりもと
五代 頼旨 よりむね
六代 則維 のりふさ
七代 よりゆき
星マーク★八代 頼貴 よりたか
九代 頼徳 よりのり
十代 頼永 よりとお
星マーク★十一代 頼咸 よりしげ

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