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シリーズ 久留米入城400年モノ語り【5】(令和3年3月1日号)

有馬の法灯守る梅林寺

大名家一族の御霊が眠る墓所

 梅林寺は、山号を江南山、如意輪観音を本尊とする臨済宗妙心寺派の古刹です。歴代住職は19人。九州一の修行道場としても有名です。元和7(1621)年、初代藩主・有馬豊氏によって創建されました。有馬家の菩提寺として、丹波福知山(現在の京都府福知山市)の瑞巌寺を移したものです。豊氏の父で藩祖・則頼の法名「梅林院殿」にちなみ「梅林寺」と名付けられました。
 久留米城の南西に広がる上・中級藩士の屋敷が配置された一帯は、京隈小路と呼ばれていました。梅林寺はその北端に位置します。筑後川沿いの小高い丘の上に建立され、本丸と向かい合う場所にあるため、いざという時は久留米城南西の守りの役割も担っていました。
 本堂裏手の有馬家墓所は、初代豊氏、2代忠頼、7代よりゆき、10代頼永が埋葬され、10代までの歴代藩主の墓石や供養塔が残っています。「有馬家霊屋5棟」の一つで、寛永7(1630)年に建てられた「梅林院霊屋」は市内最古の木造建築です。

春を告げる梅の名所

 明治政府が出した「廃仏毀釈」によって、梅林寺は、江戸時代から守ってきた伽藍の多くを失います。久留米藩の保護もなくなり、次第に荒廃が進みました。これを憂慮した市内の有力商家らの援助により、明治20年代から大正時代にかけて復興していきます。本堂や境内の建物、霊屋も修復され、15世住職・猷禅玄達の時代には、九州第一の禅林道場になりました。
 昭和33(1958)年、梅林寺を開山した初代住職・禹門玄級の350年忌にあたり、檀信徒の協力とブリヂストン創業者・石橋正二郎氏の寄付で外苑が完成。名実ともに「梅の名所」として知られるようになりました。敷地面積は約3000坪。30品種約500本のウメ、ツツジ、モミジ、ツバキなど四季の景色を楽しむことができます。遠くは背振の連山、眼下には筑後川を眺めることができる観光名所の一つです。

【問い合わせ先】文化財保護課(電話番号0942-30-9225、FAX番号0942-30-9714)

久留米歴代藩主

星マーク★マークは今回のモノ語りと関わる藩主

星マーク★初代 豊氏 とようじ
星マーク★二代 忠頼 ただより
三代 頼利 よりとし
四代 頼元 よりもと
五代 頼旨 よりむね
六代 則維 のりふさ
星マーク★七代 よりゆき
八代 頼貴 よりたか
九代 頼徳 よりのり
星マーク★十代 頼永 よりとお
十一代 頼咸 よりしげ

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