トップ > 広報くるめ > 平和の大切さを未来へ受け継ぐ PEACEFUL KURUME 2020開催
今から75年前に市街地の7割を焼失した久留米空襲について語り部をしている坂井幸子さんに話を聞きました。
【問い合わせ先】総務課(電話番号0942-30-9052、FAX番号0942-30-9706)
終戦の年の昭和20(1945)年は、14歳で久留米高等女学校(現在の明善高校)の2年生でした。授業ではモールス信号や手旗信号を習いました。水も食料も持たず40キロメートル歩かされたこともありました。命綱を付けずに久留米城跡地の石垣を登る訓練も。今では考えられないことばかり。深夜の空襲で寝ることもままならない日々。空から降ってくる焼夷弾はマッチ棒をパラパラ落としたようで、今でも目に焼き付いています。
戦争は嫌だ、早く終わってほしいと思っても、鉄砲を担いだ大学生や凛とした姿の少年兵を見ると、とてもとても言えませんでした。
空襲の数日前、米軍がまいた空襲予告ビラを目にしました。「次は久留米がやられる」と思うと、怖くて怖くてたまりませんでした。8月11日朝10時、大きなサイレンと同時に、学徒動員で働いていた日本ゴムから中央町の家まで走って帰り、いったんは防空壕に逃げ込みました。
あまりの数の焼夷弾に、父が「ここは危ない」と防空壕を出ました。勢いよく燃える家や降り注ぐ焼夷弾の間を必死に走って梅満町まで逃げました。炎の中をはだしで逃げる人、全身が焼け焦げ、担架で運ばれる人など、周りはまるで地獄絵図。焼き尽くされた街を見ても涙も出ませんでした。
こんな悲惨な体験は私たちの世代でもう十分。戦争の話をすると、自分とは関係ないと言う子どももいます。歴史や起こった事実を伝えるのは大人の責任です。過去から学び、知恵を出し、生かしてこそ平和になるのです。
戦争が無いだけでなく、世界中で笑顔の絶えない時代がきてこそ、平和な世の中になると思います。
昭和20年8月8日、国鉄荒木駅北上空から超低空で飛ぶP-51ムスタング戦闘機2機は、何度も旋回しながら、列車や駅周辺の建物に向け、繰り返し機銃掃射を浴びせました。翼に取り付けられたガンカメラで撮影された動画を、米国立公文書館から入手。市ホームページで初公開しています。
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