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田中光哉選手 東京パラリンピック テコンドー競技61キログラム級代表に内定(令和2年3月15日号)

裏方から選手への「決断」

 久留米市出身の田中光哉選手が1月26日に東京パラリンピックテコンドー代表選考の試合で優勝。代表に内定しました。これまでの道のりや大会への抱負を聞きました。

次の目標はメダル獲得

 田中選手がテコンドーに出会ったのは平成29年。以来3年の短期間でパラリンピックの日本代表になるという快挙を成し遂げました。選手になる前はパラリンピックに関わりたいと、障害者スポーツの普及の仕事をしていました。パラスポーツに関わるうちに選手として出場したいという思いに変わり、選手を目指すことを決断。どの競技なら出場できるか模索しました。その中で、可能性を感じたのが「テコンドー」でした。
 競技を始めた頃の階級は75キログラム級でした。有利に戦うために、3カ月で10キログラム以上減量して、61キログラム級に転向しました。同階級で身長176センチメートルは大きい方で、足の長さを生かした戦いが田中選手の強みになりました。代表選考会では他の選手に大きな点差で勝利し、内定をつかみ取りました。
 田中選手は「内定を一番喜んでくれているのは、久留米の皆さんです。パラスポーツの競技を知ってもらえる機会になるようにしっかり結果を出したい。地元の久留米を盛り上げられるように、メダル獲得を目標に頑張ります」と意気込みを話しました。

【問い合わせ先】体育スポーツ課(電話番号0942-30-9226、FAX番号0942-38-2259)

恩師や後輩へ代表内定を報告

 2月22日、出身校の県立久留米高校で、恩師と後輩にパラリンピック出場内定を報告しました。田中選手はサッカー部に所属していた当時を振り返りながら、今後の目標などを語りました。
 高校時代、練習量が足りないことから、試合で満足のいく結果を出せず、もっとやれたのではないかと自問したそう。この経験から「練習が自信につながる。取り組み方でいくらでも結果を変えることができる。限界を決めずに向上し続けることが大切」と考えるようになったと話しました。「振り返ると、最初の目標は学校の先生になること、次にパラリンピックに関わる仕事をしたい、そして選手として出場したいといろんな目標を持ってきた。目指すものを明確にして一つ一つ達成してきたことで今の自分があると思っています」と後輩に伝えました。

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