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第46回 じんけんの絆(令和2年3月1日号)

パラスポーツが社会との接点

 事故による脊髄損傷で下半身不随。岩崎満男さんはそこから奮起し、92年に車いすテニスのパラリンピック日本代表に。パラスポーツ(注意)を通して感じる、社会に必要なことを聞きました。

目標をくれたパラリンピック

 私は23歳の時にスキーで転倒して脊髄を損傷、両足にまひが残りました。もう体を動かせないと一時は絶望しましたが、パラスポーツが希望を与えてくれました。リハビリで車いすバスケットを始めて2年目、友人に誘われてオランダ開催のパラリンピックを見に行きました。障害を感じさせず、純粋に競技に打ち込む姿に衝撃を受け、「ここに立ちたい」と目標を持てたんです。それから本格的に練習に励み、東京代表や強化指定選手へとステップアップ。その後、車いすテニスに転向し、正式種目になった92年バルセロナ大会で日本代表に。パラスポーツは私と社会の接点になってくれました。

配慮でなく排除

 パラスポーツは誰でも参加できるのに、実生活では障害があると参加できない場面が多い。違いは配慮がルールとなっているかどうか。まだ社会全体として、配慮の意識が根付いていないのだと思います。
 例えば、「危ないから横で見ていて」と言われることがあります。障害だけを理由に参加できないのはあまりにつらい。人はトラブルなども含め、いろんな経験から生きる力を学びます。本人の意思を無視した配慮は、目標設定や成長の機会を奪ってしまうのです。これは排除と言わざるを得ず、社会の責任だと思います。本人が選択できるように、可能な範囲で条件を整えるのが合理的配慮。これは、外国人や高齢者に対しても同じで、誰にでも当てはまること。誰にも優しい社会が共生社会というものですよね。

触れて変わる意識

 パラリンピックをきっかけに、東京では施設のバリアフリー化が進んでいます。併せて「心のバリアフリー」も大事で、パラスポーツは良い接点になると思います。数年前、市内の総合型地域スポーツクラブにパラスポーツの教室ができ、私もそこに関わっています。そこは、障害の無い子どもたちが「人はそれぞれに違いがある」ことを感じられる場。じかに接すると意識が変わり、気付かなかった部分に気付くようになるのです。
 私はこれからも、パラスポーツに多くの人が関われる仕組みをつくっていきます。今、社会に足りないものを感じる機会を増やしたいから。まずは今年の東京パラリンピック。多くの人に楽しんでほしいですね。

【問い合わせ先】障害者福祉課(電話番号0942-30-9035、FAX番号0942-30-9752)

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