トップ > 広報くるめ > 久留米の歴史秘話・ゴム3社がPRに動き出す

久留米の歴史秘話・ゴム3社がPRに動き出す(令和2年3月1日号)

ゴム産業のルーツにドイツさん

 第1次世界大戦当時、久留米に収容されていたドイツ兵捕虜は、西欧の工業技術などを伝え、産業の近代化に重要な役割を果たしました。久留米市はゴム3社と連携し、歴史を生かしたPRを進めます。

礎築いた2人の捕虜

 今から100年前、現在の国分町に国内初で最大規模のドイツ兵俘虜収容所がありました。地域とのさまざまな交流があり、市民は親しみを込めて「ドイツさん」と呼んでいました。当時、日本はドイツ兵が持つヨーロッパの進んだ技術や知識を、国内産業の近代化に役立てようと、工場などへの勤務を許可。月給は24円で、当時の小学校の先生たちと同程度でした。
 大正12(1923)年、捕虜の一人パウル・ヒルシュベルゲルさんは、解放後に、日本足袋(現アサヒシューズ)に入社。ゴム技師長として、地下足袋、ゴム靴などのゴム製品の配合研究、作業能率研究を担っていました。昭和4(1929)年、同社が自動車タイヤ製造に乗り出したとき、タイヤ部のメンバー20人に選ばれ、ゴム配合関係を担当しました。タイヤのブランド名を「ブリッヂストン」に決める時には、社長の石橋正二郎氏との話し合いに加わるなど、ブリヂストンの創業にも関わりました。
 捕虜時代から、つちやたび(現ムーンスター)で働いていたハインリッヒ・ヴェデキントさんは、解放後も、機械設備改善に取り組みました。ゴム靴底関係の成形装置の改良をはじめ、裁断機や回転乾燥機など、機械関係の特許の数多くが彼の手で作られました。

ゴム3社が歴史を継承

 ドイツさんの功績を多くの人に知ってもらうため、アサヒシューズ、ブリヂストン、ムーンスターのゴム3社と市が動き出しました。2月7日、市はゴム産業とドイツさんの歴史を解説したパネルを贈呈。各社は工場や関係施設に展示し、見学者などにドイツさんと久留米の深い関わりを語り継いでいきます。

【問い合わせ先】文化財保護課(電話番号0942-30-9322、FAX番号0942-30-9714)

「ロースハム」もドイツさんから

文化財保護課 小澤太郎さん

 「ドイツさんと久留米」の連載で、過去の文献を調べると新たに分かった事実もありました。皆さんご存じの「ロースハム」。実は日本で生まれたハムで、しかも生みの親は久留米の収容所にいたドイツさん。畜産業が発達していなかった日本で、豚のもも肉のハムを作るのは難しく、高価な物になってしまう。そこで、廃棄されていた背肉とロースに目をつけロール状してロースハムを作ったそうです。まだまだ知られていないドイツさんとの物語を、これからも掘り起こしていきたいと思います。

▲このページの先頭へ