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これ、知ってる!?【38】(令和2年11月15日号)

久留米にもある?八ツ墓の由来

 戦国時代の高良山は、筑前から肥後へ、肥前から豊後への道が交差する軍事上の要地で、周辺にはいくつのも城が造られていました。久留米城主の小早川秀包にとって、勢力を持っていた高良山座主・麟圭は目障りな存在。天正19(1591)年、秀包は、麟圭を久留米城に招きます。酒宴をあげ、城を出たところを襲撃し殺害。高良山に逃げる家臣8人も討ち死に。東町には、家臣8人の慰霊碑が立てられ「八ツ墓」と呼ばれています。

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