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住みやすさ日本一のまちへ(平成30年3月1日号)

大久保市長は語る

かつての文学青年は銀行、外資証券会社、国会議員から再びふるさとへ その横顔に表れる久留米への深い愛着や思い描いた理想とは

他とは比べられない久留米

―大久保市長は、関西や関東、海外での暮らしを経て、帰郷されました。市長から見て、良さや特徴をどう感じていますか?

市長 久留米は私にとって、他とは比べられない存在ですよ。先祖代々、久留米ですし、農家である私の実家も市内にあります。 学生時代は京都で暮らし、仕事で関東、海外での生活も経験しました。国会議員時代には福岡市に住んでいました。久留米を離れたおかげで、少し冷静にこのまちを見られるかなと思っています。 久留米の良さはやはり「住みやすい」ことだと思います。それを支えているのは「人」。地元を愛する皆さんでつくられたコミュニティは財産で、まちへの関心の高さが感じられます。 東京からの認知度はまだ低いですね。所得水準も高いとは言えない。大きな理由は、大企業が少ないこと。かつてはゴム3社が久留米を支えてきました。産業構造が移り変わる中、大学生をはじめ優秀な人材が定住していない。仕事が足りていないということだと思います。 必要なのは基幹産業。単に企業を誘致するだけではなく、時代の流れを見極めることが大切なのです。久留米の基幹産業には研究開発か、医療か、ITか。しっかりと検討しないといけません。 県内1位の生産額を誇る農業は、基幹産業の一つたり得ます。大きな農家は、工場のように雇用を生みます。補助金だけでなく、品質管理やマーケティングなどの支援も充実し、農業をもっと強くしたいと思っています。 また、観光にも力を入れていきたいですね。国際空港から1時間という好立地を生かせば、外国人観光客も呼び込めるはずです。

政治に関心を持った青年時代

―市長はどのような少年時代を送りましたか?企業や議員時代の経験を、どう市政に生かしますか?

市長 文学青年といったところでしょうか(笑)。小学生の時から、とにかく本が好きでしたね。学校の図書館の本をほぼ読破。中央図書館で一日中、本を読みふけるような子でした。 中学校・高校時代は陸上部や、生徒会の執行部を務めました。この頃はヘルマン・ヘッセの小説やさまざまな哲学書を読み、政治に興味を持ち始めました。生徒会活動の影響も大きかったですね。 大学は経済学部で国際経済を専攻し、卒業後、東京銀行に就職。配属された為替トレーダーの部署では、「リスクを取ってリターンを得る」という、成功のためのリスク管理を学びました。

国の政策決定を現場で経験

東京銀行に入って10年がたとうとした頃、アメリカの投資銀行から移籍の話をもらいました。その時、既に政治家という道が頭にありました。学生時代に読んだ本の一節、「政治が人を救い、地域を変える」を信じていましたから。 米国企業では30歳代でも役員になれます。政治家に必要な社会経験やグローバルな経営を学ぶ武者修行と思い、転職を決意しました。

―参議院時代は、国の政策決定にも関ったのでしょう。

市長 財務副大臣の他、党の財政金融部門の座長や税制調査会副会長も務め、国家予算の編成や税制改正などを経験しました。市長として課題を解決しなければならない時に、この経験が生きてくると思います。

オール久留米でしっかりとスクラム

―最後に、市政運営の目標を。市民の皆さんに伝えたいことはありますか?

市長 公約でもある「住みやすさ日本一」をどうやったら実現できるかを、真剣に考えます。それを感じてもらうのは、一部ではなく全市民の皆さん。中でも、高齢者や子育て世代、子ども、障害のある人など、弱い立場の人の住みやすさを追求していきます。 最も大切な視点は「自助」と考えています。まずは自分で、だめなら親族で支える。「簡単に行政の世話にならん」という文化が、久留米の皆さんにはあると思います。私はそれを、議員時代の地域の集会で感じました。子どもの頃を思い出すと、周囲の大人もそういう人が多かったように記憶しています。 次に「共助」。地域の支え合いを行政が後押しする。それでも解決できない問題、貧困や教育、待機児童など、行政にしかできない部分には、しっかりと対処します。 まちづくりの全てを、行政が担うことは、市役所の肥大化を招き、税負担も赤字も増えていきます。行政は「ガソリン」でなく「潤滑油」であるべきだと考えています。皆さんが夢や希望を実現できるまちになるよう、私も全力を尽くしていきます。「オール久留米」で、しっかりとスクラムを組みましょう。

【問い合わせ先】秘書室(電話番号0942-30-9105、FAX番号0942-30-9701)

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