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新市紀行

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平成17年 1138号
2005.8.1

ここからが本文です |新市紀行|4暴れ川から母なる川に

新市紀行ロゴ

水近けれど水遠し。
一夜川の異名をもつ筑後川。
一夜にして流れが変わる暴れ川でした。
昔から流域の人々は、川の治水や利水を行い、荒地を美田に変えるために堰や用水路を造ってきました。
北野町を流れる床島用水路もその一つです。
約300年前の正徳2年(1712年)、鏡村(現北野町金島)の高山六右衛門、八重亀村(現北野町八重亀)の秋山新左衛門、高嶋村(現北野町金島)の鹿毛甚右衛門、稲数村(現北野町稲数)の中垣清右衛門、早田村(現田主丸町八幡)の丸林善左衛門の5庄屋は、久留米藩士の草野又六を普請総裁判として、北野町一帯で大規模な農地開発を行いました。
筑後川からの取水のための恵利堰や水量調節のための床島堰、佐田堰などを設け、床島用水路を通し、約3,070ヘクタールを潅漑しました。
床島用水路が運ぶ水は、北野町や宮ノ陣町などの農地を潤しています。
農業が盛んな北野町では、田植えも終わり、収穫のときを待つ稲穂の波が一望できます。
さらに、同町では、レタスやホウレンソウ、パセリを始め百種類を超える野菜が育ちます。
いたるところにビニールハウスやガラスハウスが点在し、北野ブランドの新鮮野菜が関東や関西地方まで出荷されます。
かつての暴れ川は、母なる川となりました。
私たちに多くの実りをもたらしながら、今も悠然と流れています。
 
筑後川の水を北野町一帯に運ぶ床島用水路の写真
筑後川の水を北野町一帯に運ぶ床島用水路
筑後川をせき止めて用水路に導水する恵利堰の写真
恵利堰は筑後川をせき止めて用水路に導水します


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