平成15年 No.1093
20039.15

|特集|中村八大夢逢会の活動準備が順調
夢は世界の音楽祭

▲本市出身のジャズピアニストで「上を向いて歩こう」などの作曲家として知られる中村八大(なかむらはちだい)さん。
八大さんを顕彰しようとこのほど、昭和36年頃に八大さんが出演していたテレビ番組「夢で逢いましょう」から名前を付けた中村八大夢逢会(ゆめあいかい)の今井正雄さんに話を聞きました。

写真
昭和43年、明善管弦楽団設立5周年記念演奏会の本間四郎さんと中村八大さん(右)

問い合わせは100件以上
8月10日の夢逢会設立総会が新聞に取り上げられて、「私も入りたい」という問い合わせがすでに100件以上きています。
こんなに反響があるとは思いませんでした。
会の発足にあたっては、江藤市長を始め、さまざまな団体の皆さんから激励をいただきました。
おかげさまで、記念音楽祭などの事業計画案や予算案を話し合う総会を10月5日に開く準備が整いました。
改めて、各方面に正式にお願いに行くためのプランができて本当のスタートです。

写真夢逢会会長の今井正雄さん

音楽で明るいまち
私自身もラジオでジャズを聞いて育った世代。
戦後の荒廃した時代が、長期の不況や閉塞感が漂う今と重なります。
皆が元気になることが何かできないかと思っていました。
昨年入会した久留米ジャズクラブで、久留米出身の八大さんを見直そう、しっかりしたイベントにしようという話が持ち上がってきました。
ただ、一部の人たちだけのイベントにしてはいけない。
ジャズだけに絞り込むのではなく、いろいろな音楽を通して、まちを明るくしようと夢逢会の会長を引き受けました。
13回忌に記念音楽祭
来年は、ちょうど13回忌。
記念音楽祭には、ビッグフォーのジョージ川口さんや作詞家の永六輔さんなど八大さんにゆかりの人たちを招こうと盛り上がっています。
もちろん、地元の合唱団や演奏家にも出てもらいたい。
できれば、音楽祭をジャズの新人登竜門にしたいですね。
ゆくゆくは、アジア音楽祭や国際音楽祭へと夢が膨らんでいきます。

写真
10月5日、六角堂広場で久留米ジャズクラブの皆さんが夢逢会設立記念ライブを行います

【問】夢逢会事務局(久留米ゼミナール内、TEL35・4970)

八大さんが過ごした久留米
本間四郎さんとの出会い
中国で生まれた中村八大さんが、津福本町の祖母の家に引き揚げてきたのは昭和20年1月。
それから本市で4年あまりの多感な時代を過ごします。
14歳の春、旧制中学明善校(現、明善高校)に入学しました。
西町に引っ越した八大さんは運命的な出会いをします。
後に、医師の傍ら生涯をかけて地域の音楽活動を続けた本間四郎さんでした。
隣同士の家に住む1年先輩の本間さんと八大さんは音楽を通じて意気投合。
同校で作った合唱団は、久留米高女と共に混声合唱団へ発展していきました。

写真
昭和24年1月、明善校音楽部主催音楽会。
女性コーラスは久留米高女。
指揮・本間四郎さん、ピアノ・中村八大さん

筑後路に八大さんのメロディ
昭和24年の学制切り替えと同時に、八大さんは東京の学校に入学。
大学在学中にジャズピアニストとして一躍有名になりました。
その後、レコード大賞受賞曲の「黒い花びら」や「こんにちは赤ちゃん」などを作曲。
また、「上を向いて歩こう」で世界が注目する作曲家になります。
八大さんは、どんなに有名になっても忙しくなっても故郷のことを忘れませんでした。
いつも久留米の友人の輪の中に八大さんの笑顔がありました。
昭和43年11月、明善管弦楽団設立5周年記念演奏会を笑顔で引き受けた八大さんは、モーツァルトを演奏。
当時爆発的な人気だったため、いくつも仕事を断って母校の依頼を受けました。
八大さんは本間家に滞在し、初めての協奏曲に備えてピアノを猛練習したといいます。
本間四郎さんは晩年、記念誌に八大さんとの思い出を次のようにつづりました。
「いつも素晴らしい音楽を届けてくれた八ちゃん。本当にありがとう。あなたのメロディと八ちゃんの音楽は今後も永遠に筑後路を流れていくことでしょう」

写真
昭和43年、本間家でピアノに向う中村八大さん


※写真の無断転載・複写等は堅くお断り申し上げます。
写真は、中村八大コーポレーションの許可で本間さんのご家族からお借りしました。


特集BACK