平成15年 No.1084
20035.1
第13回
|ふるさと再発見| 古代農業のパイオニア

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道君首名の偉大さを象徴するシイの木

大善寺町は、4世紀中頃から始まったといわれる重要無形民俗文化財の鬼夜や、5世紀末から6世紀初頭にかけて造られたといわれる御塚・権現塚古墳などが残る古代の香りがする町です。
古代の筑後、肥後一円にため池などの灌漑施設を造り、人々が生活する上で必要な農業生産を安定させた道君首名のお墓がこの町にあることはあまり知られていません。
道君首名(みちのきみのおびとな)
飛鳥時代の西暦663年に加賀国(石川県)で生まれたといわれる首名が歴史上に顔を出すのは、西暦700年の大宝律令の編さんに加わってからです。
首名は和銅5年(712)に、新羅(朝鮮)大使に任命され、帰国後の翌年8月に筑後国守に任命されて赴任してきました。
記録に残る西海道最初の国守です。
肥後国守も兼任し、養老2年(718)4月に56歳で病死するまでの4年7か月の間勤めました。
灌漑治水事業で農業生産が向上
平安時代初期に成立した「続日本紀」によると、人々に農耕の技術や家畜の飼育方法などを懇切に指導。
時折管内を見回り、教えに従わない者がいると程度に応じて罰していました。
当初はみんな恨み批判しましたが、1、2年で成果が上がるにつれ国中の者は喜び、その指導に従うようになりました。
また、水田開発のため盛んに灌漑治水事業を行ない、人々はその恩恵を今も受けていると記しています。
乙名塚(おとなつか)
大善寺町夜明にある印鑰神社(夜明神社)。
その境内には、首名の墓といわれている乙名塚がひっそりと佇んでいます。
奈良時代中期になると律令制度が緩み、私腹を肥やす国・郡司の政策が人々の生活を困窮させていきます。
そこで、善政を行った役人の代表として再び首名の業績を見直し、神として祭ったのです。
子どもの頃、乙名塚のシイの実を取って食べていたという神社総代の末松敦治さんは「偉大な首名さんのことをもっと多くの人に知って欲しいですね」と話します。
乙名塚は現在も農業の神として祭られ、同神社では、毎年11月23日ごろに新嘗祭が行われます。
今年の祭りにもきっと、古代農業のパイオニア・道君首名の話に花が咲くのではないでしょうか。

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「首名の由来の掲示板を立てる予定です」と話す末松さん


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